

働く人の想い
コベルコ教習所20年の歴史を知る先輩に、
入社1年目の若手社員が
設立当時のあれこれを聞いてみます。
Member

業務部長

講師

(インタビュアー)
01自己紹介、
現在と当初の仕事内容

森川:入社1年目の森川和貴と申します。本日は、設立当時から会社を支えてこられたお二人に設立当時のエピソードやこれまでのご経験、コベルコ教習所に対する思いなど、お話を伺っていきたいと思います。
まずひとつ目の質問ということで、はじめに自己紹介と現在、また、設立当初のお仕事内容を教えてください。

澤:コベルコ教習所の本社で業務部長をしています澤 乃里子と申します。
現在は、本社で業務全般のまとめ役という立場で仕事をしています。設立当時から本社の業務を担当してきましたが、当時の業務部は部長を入れて3人しかいなかったので財務、システム関連、企画管理、広報など、総務と講習以外はほぼ全てを担当していました。

小武:明石教習センターの講師として講習を担当しています小武 量年と申します。
私は、平成17年の設立当初は明石教習センターの主任講師をしておりました。その後は、各地のセンターや業務部でも勤務してきました。現在は定年を過ぎ、パートナー講師として当時と同じように明石で講習をやらせてもらっています。設立以前の当時「コベルコ建機明石教習センター」で平成11年から教習所で講師をしており、平成17年にコベルコ教習所を設立してから、コベルコ建機から出向という形で教習所に在籍し、60歳の定年からは、コベルコ教習所の所属になりました。そういう状況で、現在もバリバリと講習を行っています。
0220周年を迎えて、
どういうお気持ちでしょうか?

小武:今年パスポートの更新に行ってきたんですね。前々回はというと20年くらい前、平成17年当時のパスポートが残っていて、それを見た時に「あ、なんて頭(髪の毛)が黒いんだろう」と(笑)。「ああ、これが20年か」と、パスポート写真を見てこんなに時が経ったんだなと思いました。

澤:私は20年経った実感が薄くて、気持ちはそう変わっていないので短く感じています。これまでの20年を前後に分けると社員構成に変化があって、最初の10年は親会社からの出向者が中心、後の10年はキャリア社員が増えました。今はキャリア社員が9割を占めていて皆活躍していますが、そうした変化もありながら20年間しっかりと運営し続けてこられて良かったという気持ちです。

小武:20年いろいろとあったね。私も岐阜、宇都宮、尼崎と各地で勤務しました。センターが増えたので、配転で各地のセンターで勤務することは考えられるケースだったし実際そうなった。私自身パートナー講師としての定年が75歳なので、そこまでは何とか頑張ろうと思っていますが、これにはやはり「健康」が大事だと思っています。

森川:小武さんは、今月も移動式クレーンの教習、基礎、小型移動式クレーンの技能講習などなど……講習予定がかなり詰まっていますね。

小武:技能講習は講師の条件が非常に難しいのでね、我々のような古参はそれなりの経験を積んでいるので活躍できているのかなと思います。

澤:長く活躍してもらいたいので健康第一でよろしくお願いします。そうそう、小武さんは昔コベルコ建機の工場に勤務されていて、異動先の教習所は同じ敷地内だったんです。ところが教習所に来て最初に「岐阜に行って」と言われて、転勤が無いと思っていたご家族から「どうしてパパなの?」って聞かれたらしいですね。

小武:そう、副センター長として2年間という約束で岐阜へ行きました。それで2年経ったら、次はセンター長としてさらに遠い宇都宮へ異動で(笑)。どちらも良いところでした。岐阜では開講の準備から始めて、営業範囲も広げるためにも、諸所の企業へ訪問しましたし、その後の宇都宮でも軌道に乗せるために、やっぱり彼方此方へ訪問して回りました。私の20年間では、宇都宮と岐阜での4年間は遠方に行っていた時期でした。

澤:大変でしたね。 私は一度も異動なく本社業務部にいました。ただ、一時的に熊本のセンター長を兼務していたことがあります。多忙な濃い期間でした。


小武:私もね、業務部へ戻ってそれから尼崎のセンター長を2年半、また戻ってきて次は半年程度ですが岐阜のセンター長をしていました。これがやっぱり大変だった。兼務だったのでずっとセンターにいるわけにもいかない。

澤:そうそう。業務部では講習業務のグループ長は、状況によっては兼務する役割でした。

森川:なるほど、お二人とも、激動の時代があったのですね。
03これまでの20年間で
一番印象深いエピソード


森川:先ほどのお話と重複するところもあるのですが、これまでの20年間で一番印象深いエピソードを教えていただけますか?

澤:お客様向けと内務的なことの2つがあります。
20年前にお客様対応を始めて間もない頃は「ここは神戸製鋼の人だけが受講できるの?」というご質問が多く、法令として資格が必要なこと、例えば「フォークリフトの運転には資格が必要」ということをご存知ない方もいらっしゃって、私自身も経験不足でしたので案内を間違えないか不安で……知識をしっかりと身に着ける必要があることを痛感しました。その経緯があり、お客様だけでなく社内、それからコベルコ全体へも浸透させなければと啓発活動を始めました。
まず、内務的な活動のひとつとして「明石教習センターだより」を作って全社員にメールで送信しました。ところが、ファイルサイズが大きすぎて……サーバにかなりの負荷がかかり、ネットワークを圧迫、システムに影響を及ぼすという問題を起こしてしまった、というエピソードがあります。過去を振り返ればそんな頃がありました。

森川:それは……忘れられないエピソードですね。社内やコベルコのグループ内へはメールが主な方法だったと思いますが、お客様へ向けてはどのようにされたのでしょう?

澤:まずは「コベルコはどなた様でも受講できます」と認知されるためにウェブ、看板、新聞、ラジオ広告にテレビCMも少し、とにかくあらゆる広告を出していこう!と活動しました。特に最初の頃は使命感がとても強かったと思います。それは講師皆も同じで、講習のことだけでなく受講者の方や企業の方々へ向けての説明や訪問活動であったりと、資格の必要性の啓発に使命感を持って会社全体で活動していましたね。

小武:そうそう。パンフレット(日程表)配りとかね。講師があちこちの企業に配って歩く。これはどのセンターでも皆やってきたことで、その流れが現在の安全推進担当者を配置することに繋がっていきましたね。

小武:私にとって印象深いのは、やはり講習時間の不足が発覚したことでした。教習所に入った当時からの運営方法が、その件で一変しましたし、変わらざるを得ない状況でした。その変わり目があって現在に至っている。やはりこの一件が転機となりました。

澤:正しい運営ができていなかったわけですから、忘れてはならないことです。ただ、その件があって2年ほど対応に専念する中で、従業員皆の意識も変わりましたし、補講が必要なお客様へ全拠点で対応し、全社員団結することができたし、勿論決まったことを守っていくという思いを一致させることができ、全拠点のコンプライアンスの意識が一気に高まったと私は思っています。

森川:全体的な底上げに繋がった、ということですね。

澤:本当に変わったと思います。人だけではなくシステムも変わりました。最初の基幹システムは、先に述べた啓発活動のひとつで「予約の仕方がわからない」、「受講できるのかわからない」といったお声が多かったことから、お客様がいつでも予約し易いように、ウェブと連携させてデータ管理できるよう2008年に整備したシステムでした。その後、時間不足の一件もあり徹底的なコンプライアンス管理を可能としたのが現在稼働中の2代目基幹システムです。実際に講師はじめ扱う側には慣れるまでが大変ですが、自慢できるシステムであると思っています。

小武:実際に講習しながら、スマートフォンで毎時間、分、秒単位で管理、ここまでやっているところは、他にないんじゃないかと思うぐらい徹底しているんじゃないかな。今後もシステムのみでなく、一層コンプライアンスの認識を深める必要があると思っています。

森川:少し話を戻しますが、私自身が高校生だったときに学科は校内で、実技は明石教習センターで特別教育を受けたことがあります。コベルコの工場に隣接しているので、工場の方向けの研修場所というイメージが強かったです。その際に講師から「こういう資格があって、将来的にはこう使う」と説明を受けたことを覚えています。そのときが自分のような一般、学生でも受講できると知る機会になったことを、お話を聞いていて昔の記憶が甦ってきました。

澤:講師が啓発活動を続けてきたことが、繋がっていると知ることができて嬉しいですね。
04設立当初の裏話


森川:コベルコ教習所設立当初の裏話などがあれば教えていただけますか?

小武:裏話……自分は表しか歩いていないけどなぁ(笑)。

澤:私もです(笑)。今、ひとつ思い出しました。裏話と言えるほどではないですが「コベルコ教習所」という会社名になった理由です。

森川:それはぜひ知りたいです。

澤:設立の準備に携わっていたんですけれど、当時の親会社は分かれていて、コベルコ建機80%、コベルコクレーン20%の出資比率で設立することになったので、最初は社名を「コベルコ建機教習所」にする案が出ました。そこにクレーン側から「クレーンが入っていないじゃないか」と待ったが入りまして、それなら「コベルコ建機クレーン教習所」にするかと。

森川:間に入れる案ですね。そうすると、社名が長くなりますね。

澤:そうそう。それを今度は我々が「社名が長すぎていろんなものを作るのが大変になる」と待ったを入れて、「コベルコ教習所」にしよう、と提案したのですけれど、上司や経営側からは「それだと神戸製鋼の教習所みたいだ」と言われてしまって。「コベルコ」の単語は「神戸製鋼」というイメージが強かったのだと思います。けれど当社のお客様は決して建設土木業だけではなくて、製造業である神戸製鋼のお客様も含んでいるので「コベルコ教習所」が良い、と。それで纏まったことが裏話です。


森川:すごく初歩的な質問ですが、「コベルコ教習所」の前は何という社名だったんですか?

澤:ここ(明石)は、正式には「コベルコ建機株式会社カスタマーサポート部明石教習センター」でした。

小武:長いので一般には省略して表したところが大分あるね。


森川:ヒストリーでは、最初は「神鋼建設機械大久保教習所」と広島に「油谷重工特殊技術教習所」、そこから「神鋼建設機械教習所」に変わったとあります。

澤:神鋼コベルコ建機が設立されたからですね。その後1999年に油谷重工、神鋼コベルコ建機、神戸製鋼所建設機械部門の統合で「コベルコ建機」が発足して、教習所はカスタマーサポート部の一部として、コベルコユーザーへ向けて設立されたところが若干あったかな。そこから2005年の「コベルコ教習所」設立で、広く一般から入りやすくしたという経緯がありますね。

小武:「コベルコ建機」と名前があると、その会社向けという印象が強くなるというかね。

澤:コベルコ建機発足の年が、小武さんが教習所に来られたときですね。その翌年2月は私が入社してフロントを担当していた頃で、小武さんは当時の出向者の中ではかなり「若手」だったんですよね。

小武:48歳でね(笑)。教習所は50歳を超えてから来るっていう流れがあった頃だね。当時の誰かが定年退職したから自分が来たはず。その頃澤さんと歳はそんなに違わなかったよね。

澤:いやいや一回り違います(笑)。でも若手の印象があったから相談しやすかった。何かとお願いしても「ほいほい」ってフットワーク軽く引き受けてもらえて、「受講希望の方がいっぱいなので何とかしてください」とお願いしたりしましたね。そうしたら「日程を増やそう」と、最初に臨時開催という形で対応をしてくださったのは確か小武さんでしたね。


森川:今ではどのセンターでも頻繁に臨時開催していますが、その頃から始めたのですね。

小武:自分が教習所に来た頃は5カ所だったセンターが増えたのは「コベルコ教習所」になってからだね。


澤:そうですね。設立の前年に熊本と尼崎、設立した年に宇都宮、翌年には岐阜教習センターを作りました。広島教習センターも沼田から現在地に移転して、その後2010年に松山と北九州を開設。1年間に2拠点を開設するのは本当に大変でした。

森川:ヒストリーの写真はかなり古いものがありますね。明石の写真では、走行用?のコースがありますが、現在の建物や北側の幹線道路が無いですね。

小武:明石では大久保工場敷地内、昔の正門あたりに教習所の建屋があってそこで学科を、現在センターがある場所で実技を行っていた。今は大型特殊のみだけど、公安委員会に認定された1971年当時はまだトラックとかの大型自動車の教習をやっていたね。今でも広いコースが残っているのは当時の名残だね。今とは周囲の建屋も全然違うけど唯一「グリーンハウス(明石教習センターの実技場にある建物)」は今でも残っているよ。

森川:実は歴史のある建物なんですね。今回は、油谷特殊車輌技術教習所時代に広島製作所から沼田工場へ移転してから撮影された写真も入手しました。

澤:昔の沼田工場では、3階建て建屋の一番上に教習所があったんです。でもこの写真では2階建てだから相当に古いですね。私の生まれた年に近いかもしれない。

森川:今年コベルコ教習所としては20周年ではありますが、原点に遡ると長い歴史があるのですね。
05次の30周年に向けての抱負


森川:では、次の30周年に向けての抱負をお聞かせください。

澤:当社の社会的使命というのは、現場安全を守ることができる人材を育成することです。そのために昔から労働安全衛生法上の講習を行っていますが、それだけが職場の安全を守ることではないですから、時代の変化に合わせて、会社として様々なことに挑戦し続けて、職場の安全を守る人材を輩出できる機関であり続けることが大切だと考えています。30周年を迎える時に私は退職していますが、これは当社の根幹であり、また、親会社であるコベルコ建機の「ユーザー現場主義」を理念として、お客様のニーズに応えられる会社であるように、30年と言わず、40年、50年、ずっと続く会社を目指したいです。 そして、1962年から続く歴史の100周年をお祝いしたいですね。

小武:労働安全衛生法の条文を読んでいるとね、「労働は」「事業者は」という言葉が出てきます。 事業者は会社を経営する側の人ですが、「労働者は」の部分について。悲観的かもしれませんがこの先労働者が増えるかといえばちょっと難しい。現在も随分と外国人労働者に頼っている社会なので、今後も力を借りないと日本はやっていけないんじゃないかなと思う。そうなってくると、やはり教習機関もより外国人労働者への対応をしていかないとこの先の10年は厳しいのかな?と思いますし、同時に10年、そして20年という先を見ると、私は見られないけれど、みんなに頑張ってほしいと思います。

澤:当社は割と皆が楽しく働いていると思っています。それがこの会社の気質であり良さだと思っていて、働きやすさであるとか、その気質が続くように、従業員が楽しく使命感を持って仕事に取り組み続けられるようにしたいと思います。

小武:うん、やっぱり楽しく仕事ができるということは一番。会社に出てくるのがしんどいなあ、という気持ちが出てくると、講師本人もやり辛いし、それが受講者の方へ向けても伝わってしまう。 「あの講師面白いよね」と言われると良い。悪い意味じゃなくて教えることをしっかりと教えれば、あとは楽しい先生の方がいいよねっていう意味で。

澤:そうそう。ある従業員に「仕事楽しい?」って聞いてみたら「趣味の楽しさとは違う。でも、この仕事を面白いと思う」と返ってきた。本社はその役割で、講師は講習を行う立場で、日々、新しく沢山の人たちと出会って、講習をして最後に「ありがとう」と言ってもらえたりしてやりがいを感じている。一生懸命皆が努力しているから面白さを感じられるんだと思う。うん、「楽しい」はハードルが高いかもしれないので「面白い」と思えるような会社であってくれたらいいなと思います。

森川:これから先も「楽しい」や「面白い」といった、前向きな気持ちを持って働ける会社でありたい、ということですね。
06コベルコ教習所として守り続けたいもの

森川:それでは最後の質問です。コベルコ教習所として守り続けたいものは何でしょうか?

澤:先の回答と重複しますが、職場の安全を守ることができる人材を輩出していく、ということです。それを表したものが青空を背景にした「資格とともに明日へ」のメッセージです。ビジュアルとメッセージ自体は2013年に公開したものですが、込めた意味はずっと変わらないものであると思っています。


小武:いつの時代もこれだったね。昔から「教習所」といえばこの想いを持っていた。

澤:あらためて言葉にしただけで、昔からの理念であり絶対の基本です。

森川:これをどこまでもつき詰めていく、ということでしょうか。

澤:そう、講習以外は展開してこなかった体制の理由でもあります。先の未来は予測できないことではありますが。

森川:理念に基づいて作られたものなのですね。言語化はされていなくても、昔から持ち続けてきた想いを、あらためて表現しただけであって、ビジュアルと一緒に作られたものではなかったのですね。

澤:2005年にコベルコ教習所を設立し、一般受講者の方々への啓発を始めた頃から、確実にこの想いはありました。それ以前は、現場の方へ向けではあったけれど、コベルコのグループ内へ向いていたかもしれません。けれど、設立から「全ての現場の安全、全産業の安全を支える」ことが我々の想いであり使命になった。皆には常に忘れないでいてほしいです。

森川:周年の今年、歴史を振り返るとともに、キービジュアルに込められた想いも含めて、自分たちが働く会社について知ることで、皆が誇らしく思えるのではないかと思います。

澤:歴史があり、そして、社会の役に立つ仕事なので、誇りを持ち続けてほしいです。

小武:例えば一つの講習を挙げて、自分は昭和48年に車両系整地の技能講習を受けましたが、そこから数えてみても、今まで何人が車両系整地の資格を取得したか、ものすごい人数になるんじゃないかと。私が講師として携わったのは平成11年からの年数ですが、それ以前となると更に多数に上る。整地の他に昔から実施してきた玉掛けとか移動式クレーンにしても、多くに携わり輩出してきた歴史であり今に残る財産。年間の受講者だけではなく、昔からの実績も誇れることだと思っているので、守り続けたいですね。

森川:社名の由来をはじめ設立の経緯まで、中々知ることのできない貴重なお話を聞かせていただきました。今も昔も変わりなく持ち続けているコベルコ教習所の使命、それらを体現されてきた20年間の歴史を感じました。これからは自分自身もこの会社の一員として共に歩んでいきたいと思います。